夏も終わりに近づき、出まくり状態だった稲川淳二がまた“潜伏期”に入ろうとしている今日この頃。
毎年、夏が来ると「怖~い話」を書こうと思いながら、いつもズルズルと秋になってしまいタイミングを逃してしまっていたので、今年こそは・・・と多少むりやりな感じとやや遅ればせ感を滲ませつつ、私の心霊体験の話を書いてみようと思います。
私が小学一年生の時、家族4人(両親と4歳上の兄と私)で、私の生まれ育った九州(福岡県直方市)から鈍行列車に揺られ、丸1日以上かかって東京に出てきました。
よく覚えていないのですが、たしか父の勤めていた会社が倒産したとか、そんな理由で、東京の足立区に住んでいた親戚を頼って上京。最初はその叔母の家に居候させてもらっていました。
今思うとかなりの貧乏生活で、しばらくしてアパートを借りたのですが、これがなんと「6畳一間」のボロ家。
さすがに家族4人で暮らすには狭すぎたのですが、とにかく貧乏だったのでしばらくそこで我慢して暮らしていました。
でも、当時の私はそんな「貧乏暮らし」に慣れていて、そういう生活が普通だと思ってたんだよね―――カミさんいわく、そこで「こんな貧乏生活イヤだ!大人になったら絶対お金持ちになってやる!」って思っていれば、今ごろは「ヒルズ族」になっていたかもよ???ってことになるんだけど
で、その6畳一間の生活はたしか2~3年で卒業して、次は「4畳半と3畳の二間」のアパートにステップアップ(?)した。畳数的には1.5畳しか増えていないけど、台所と便所付になったので、それまでの「便所と台所は共同」(←今じゃ考えられない)から比べると、ずいぶんとリッチになった感じがしたものだった。
↑この写真は、私が中学生の時にそのアパートの階段(私たち一家は2階に住んでいた)で父が撮ったもの。父は写真を撮るのが好きで、私はしょっちゅうカメラを向けられてちょっとウンザリしてたりもした。
ところがこのアパート、今思うと“自縛霊”かなんかが住みついてた感じで、ここに引っ越してから私はたくさんの“心霊体験”をすることになるのだった‥‥‥。
と、ここまででもうすごく長~い文章になってしまったので、続きはまた今度にしましょう。
今回は、私が「6畳一間に4人暮らし」という貧乏な幼少時代を過ごしていたという「衝撃の告白」だけで十分に「怖い話」だったでしょ!?!?
PR