一週間ほど前、初代新幹線0系「引退」のニュースがあちこちで取り上げられていた。
私は鉄道の事は詳しくないけど、この“0系新幹線”にはいろいろ思い出があり、けっこう詳しいかもしれない。
今から35年も前のことになるが、当時学生だった私は「バイアルスTL125」を買う資金稼ぎのため、夏休みの間東京駅で新幹線の車内清掃のアルバイトをやっていたのだ。
当時の新幹線はすべて0系で、掃除のアルバイト要員の待機場所「ホームの下」から、17歳の私はいつも0系の車輪や床下の構造物を眺めていた。
だから、0系のブレーキがディスクブレーキで、車輪そのものがディスクローターを兼ねていた事や、そのディスクの当り面に一ヶ所、パッドのクリーニングのためと思われるスリットが入っていた事などが、あの夏のホーム下の匂いとともに今でも鮮明に蘇えってくる。
今の新幹線は見た瞬間に「ぐへぇ~~~(ーー;)」となるようなヘンなデザインの物が多いが、0系のシンプルなカッコよさには今でも感心させられる。
なんと言ってもあの「翼を取った飛行機」そのものと言えるデザインの発想が最高にシャレていて、当時の私もシビレまくっていたものである。
ところが、あのラストランの日以降、0系の話題を取り上げるTVやラジオのプログラムが続出し、けっこうデタラメな情報を垂れ流していて腹が立った。
「あの先端の“団子っ鼻”の丸い部分は職人さんが鉄板をハンマーで何回も叩いて、一個一個手づくりで仕上げている」というネタは何度も見たり聞いたりしたが、確かに先頭車両の曲面は職人さんがハンマーでたたき上げて作っている(それは今の新幹線でも同じだと聞いている)が、先端の丸い部分は初期の頃は半透明の樹脂製で、夜ライトをつけるとぼんやりと全体が光っていたと記憶している(その後強度アップのためFRP製になったらしいが)。
また、「0系のデザインは“ゼロ戦”を基にしている」なんて言っちゃってる放送も聴いたが、このヒト“ゼロ戦”ってどんなカタチしてるのか知らないんじゃないの???と呆れてしまった。
【12/9追記】
このゼロ戦の話はどうやらデザインに関してではなく、開発段階で悩まされた“異常震動”を消すための技術がゼロ戦から来ている、という話だったようだが、どういう技術なのかの説明がなく全く説得力を欠いた内容で、言ってる本人も全然理解していないまま電波に乗せていたと思われるので、聴いている人間に誤解を与える結果になってしまったというわけだ。
―――というわけで、昔日本人が優秀だった頃に生み出された“傑作”が引退するというニュースで、はからずも今の日本人がバカになってしまったことを思い知らされた今回の「0系引退騒動」でありました。(←“バカ”は言い過ぎ。反省してますm(_ _)m)
↑0系と同時期に当時の日本人が生み出した、これも傑作・YS-11(先日またTWK上空を低空で旋回していた海上自衛隊下総基地のYS-11TA)。
これの翼を取って胴体下にスカートを付け、機首横にヘッドライトを埋め込んでホワイト/ブルーのツートンカラーにすれば‥‥‥ほ~ら、0系新幹線の出来上がりぃ~(^_^;)。
それにしてもこのYS-11と0系新幹線は共通点が多いと思う。
どちらもほぼ同じ時期に誕生しているし、なんていうか、当時の日本の技術者たちの情熱とエネルギーが宿っている「生き物」という感じがするのだ。
ちなみに、2007年6月に選定された「機械遺産」に、0系新幹線とYS-11はどちらも登録されている。
―――そんなYS-11が飛ぶ勇姿を、こうやって今でも間近で見ることができる私は、本当に幸せ者だ(^^)v。
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