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 ≫ 制作者プロフィール
HN:
Man-B
年齢:
68
HP:
性別:
男性
誕生日:
1956/03/24
職業:
「トライアルワークス小坂」店主
趣味:
散歩、盗撮(!?)
自己紹介:
18歳からトライアルを始め、いったんは国際A級に昇格するもクラス分け再編のため、新設された国際B級に降格。
以後A級再昇格を目指し奮闘するが、いつもあと一歩で昇格を逃し『万年B級』の称号(?)を授かる。

42歳からモトクロスにチャレンジを開始しすぐに国内A級に昇格、国際B級を目指すものの二度の大腿骨骨折など身体ボロボロになり「このまま続けるとヤバい」と実感し2005年にMXライダーは引退。

現在は世界選手権トライアルや全日本トライアルでセクション設営(土方)及びオフィシャルを務め、モータースポーツの発展に尽力中である。

また、新潟県中越地震の際に「災害ボランティアバイクネットワーク埼玉」バイク隊副隊長として震災後の新潟県小千谷市に出動、現地で実際にボランティア活動を行なってきたりもしている。

1984年に開業した「トライアルワークス小坂」のCEO兼溶接工兼修理工兼ウェブマスター兼‥‥‥要するに雑用係だったりもする。さえない独身中年と思われがちだが、実はもう社会人の娘が二人いたりして、さらには“孫”なんかもいちゃったりして‥‥‥。
(↑自己紹介、長すぎ!!)

-このBLOG以外にも以下の読み物を書いています-

≫Man-B's History

≫Man-Bの入院日記

≫Man-Bのツートラ初体験記

≫歴代トランスポーター


≫続・歴代トランスポーター


≫未承諾写真館

≫ニーブレース講座

‥‥‥etc.


40歳の時のライディングはこちら↓



モトクロスは国内A級で優勝する腕前↓



動画はこちら≫TWK動画館


災害ボランティアバイクネットワーク関東

災害ボランティアバイクネットワーク関東・埼玉支部バイク隊副隊長を務めています。

≫加須市合同防災訓練参加レポート

≫新潟中越地震・ボランティア活動報告

≫新潟中越・あれから一年
現在このブログはトライアルワークス小坂の商品インプレッションのためだけに存在しております。 リンクされたページ以外の過去の記事を読まれることは想定しておりません。ご了承ください。
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今回のもてぎMotoGPで、私がいちばん応援してたのはやはりこの選手↓



250ccクラスにチーム・スコット(HONDA)よりフル参戦している高橋裕紀選手です。(裕紀選手と私の関係(?)に関しては、このBLOG右上にある「ブログ内検索」で“高橋裕紀”と入れて検索すればわかると思います)

彼は、昨年大腿骨を骨折した後遺症で右足の先の方の感覚がほとんどない状態で、ブレーキペダルの微妙なコントロールができないため、マシンのメーター部にペダルにかかる圧力を検出する3個のLEDインジケーターを取り付け、それの点灯状況によってリアブレーキの強弱をコントロールするという方法で毎戦走っていたが、その足先の感覚も徐々に戻ってきていて、今回のもてぎはもうインジケーターを取り外しているという話だった。

そしていよいよ250ccクラスのスタート!!



ゼッケン55番・高橋裕紀選手は6番手のポジションでS字を通過。いいぞ、いい位置だ!!

その後もトップ集団に加わり続け、徐々にポジションを上げていく裕紀選手。今日は調子がいいようだ。でも転倒しないように気をつけろよ‥‥‥私は祈るような気持ちで見守っていたが、順調にポジションを上げていく彼は7周目、とうとうトップに立つ!!



そしてその後は2位以下との差をどんどん広げていく裕紀選手。



このまま独走態勢に持ち込んで優勝か―――と思ったのもつかの間、たぶんタイヤが終わってしまったのだろう、明らかにペースが落ちてきた彼は17周目ついに2位にポジションを落としてしまい、次の周にはさらに2台に抜かれ4位になってしまう。

そして19周目―――。S字の先の左コーナー手前のブレーキングでサイレンサーエンドあたりから一瞬火が見えたような気がした次の瞬間、裕紀選手と彼のマシンはそのまままっすぐコース脇のグラベルに突っ込んでいってしまったのだ。

痛恨のコースアウト。おそらくリアブレーキを強く踏みすぎてエンストさせてしまったのだろう。次の瞬間ブレーキを解除したのでエンジンは軽いアフターファイアとともに息を吹き返したが、ブレーキングが不足した彼のバイクは次の左コーナーに進入することはできなくなり、まっすぐグラベルに突っ込むしかなす術がなかった―――。

だが、転倒を免れ一つ順位を落としただけでコースに復帰できた彼は、その後2位を走っていたライバル・青山博一選手(KTM)が転倒したことにより最終的に4位でゴール。表彰台こそ逃したものの一時はトップに立ち2位以下との差を広げるすばらしい走りを見せ、高橋裕紀の復活を母国の観衆に強く印象付けたのだった。

―――それにしても、一時トップに立って後続をどんどん引き離して行った時はもう感動で鳥肌モノでした。ここ数年試練のど真ん中にいる、といった感じの裕紀選手でしたが、負けずに頑張ってきた今、ようやくトンネルの出口が見えてきたようです。



↑ゴール後、優勝したミカ・カリオ選手(KTM)と一緒にS字カーブ先で観客サービスする高橋裕紀選手。これからもケガに気をつけて頑張って欲しいものです。
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