前回の続きです。
真壁トライアルランドで全日本第一戦の設営中に今回の大震災に見舞われた我々。2日後に開催予定だった全日本第一戦は当然中止せざるを得ない状況(大会なんかやってる場合じゃないのは明らかだった)だが、一応MFJ本部に確認しなければならない。だが、携帯は繋がらず連絡が取れない。
そこで誰かが「公衆電話なら繋がるかも」と言い出し、MFJ関東事務局のSさんとSくんが真壁町内のコンビニにある公衆電話まで行って、ようやくMFJ本部と連絡が取れ、正式に中止が決定。
そして、今夜の宿泊予約を取ってある下館市のビジネスホテルにも連絡したところ、とりあえず泊まることはできるという話なので今夜はそこに一泊し、明日また真壁トライアルランドに来て撤収作業をする事に決めた。
↑真壁トライアルランドから見た震災当日夕刻の真壁の町並み。この写真ではあまり被害は無いように見えるが―――
大部分の家で瓦が崩れ、いたる所でブロック塀が倒れ、中には倒壊した家屋もあったという話だし、震災後しばらくしてから火災も発生していたのがランドからも見えていた。
我々が真壁トライアルランドを出た頃には辺りはもう暗くなっていたが、真壁町内は全域で停電。信号はすべて消えているし、コンビニも停電では営業できないので店を閉めている。
宿はクルマで30分ほど離れた所にあるが、ところどころ道路側に倒れたブロック塀をよけながら移動中に「これでは宿も真っ暗か‥‥‥自家発電とかあるのだろうか!?」などと思っていると、宿の少し手前の広い道路から先は電気が来ていた。これほど明かりが灯っているのがありがたいものだと感じた事はなかった。
だが、営業中のガソリンスタンドは給油しようとする車が殺到し、ちょっとしたパニック状態になっている。
とりあえず宿にチェックインしみんなで食事に出かけるが、付近一帯が断水しているらしく、営業中のファミレスには長い列ができていた。
何件か歩いてようやくさほど混んでいない店を見つけ、なんとか夕食を済ませ宿に戻ったが、やはり家族に連絡を取らないと心配なので宿のそばの公衆電話を探す事にした。
結局、周囲3ヵ所に公衆電話があったが、そのうち2ヵ所は外国人(ブラジル系?)が長話し中。
残る1ケ所は、なにやら怪しげな二人組が手に持った書類とにらめっこしながら、やはり延々と電話をかけまくっている―――って、よく見るとMFJ関東のSさんとSくんじゃないっすか(笑)。
なにをしてるのかと思ったら、大会のエントリーリストを見ながら参加者一人ひとりに大会が中止になった旨を連絡しているのでした。いや~本当にご苦労さまですm(__)m。
MFJ関東のお二人には申し訳ないけど、私は他の公衆電話でブラジリアンの電話が終わるのを待って自宅に電話。一発で繋がり震災後初めて妻と会話ができた。
それにしても、携帯電話が普及し、もうすでにその役目を終えたかと思えた公衆電話が、この非常時に一番信頼できる連絡手段になっているとは‥‥‥なんという皮肉。現代人が手に入れた便利さは、大自然の猛威の前には何と脆くはかないものなのだろうか。
そもそも今回の大地震にしても、以前から「東海・東南海・南海の3つの震源域で同時に地震が起きればマグニチュード9クラスの巨大地震になり、甚大な被害が出る」と言われ続け、地震予知連などがその前兆を掴むために厳重な観測態勢を敷いて注意していたのに、それと同じケースの大地震が、ほとんど予測していなかった東北の太平洋沖で起きてしまったわけだから‥‥‥。
話がそれてしまった。妻との電話で確認できた事は、自宅の被害は特になく、炊飯器が落ちて冷蔵庫のドアが開き、買ったばかりの液晶テレビ(安物)が落ちそうになったので必死で押さえてたとのこと。
心配していた食器棚からの食器などの落下もなく、停電も断水もないという事だったのでとりあえずひと安心した。
ただ、TWK店内は棚からいろんな物が落ちていて、足の踏み場がない状態だったとのこと。まぁこれは「想定内」だったし、「足の踏み場がない状態」というのは、じつは震災前から‥‥‥(笑)。
↑今回の地震でのTWKの被害はこれだけ(棚から落ちて売り物にならなくなったオイル類)。
さて、自宅の被害はなかったことは確認できたが、長女、次女、そして孫はどうなったのだろうか―――公衆電話から妻に尋ねると、「想定外」のことが起きていたのであった‥‥‥。
(続く)
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