きょう、辰巳埠頭へ行って三宅島に運んだTLR200を引き取ってきて、ようやく私と生田目さんの三宅島ボランティア活動が終了しました。
生田目さんと現地集合でコンテナからバイクと荷物を積み込んだ後、近くのファミレスで「二人だけの反省会」をして別れましたが、とにかく今回はすべての面でうまく噛み合わず、さらに我々ボランティア部隊は一日だけで先に帰る予定が組まれていたことも「仲間はずれ感」と「達成感のなさ」を助長する大きな要因になっていたのは間違いなく、私も生田目さんも「どうせ行ったんだったら最後までいた方が良かった」という気持ちだった事を再確認できました。
そして、ボランティア活動というのは「目立ちたい」とか「カッコいい所を見せたい」というような気持ちでやるものではないので、その辺のことも承知の上でやらなければならない。つまり“日陰の存在”だということ。
バイク乗りなんてだいたいが「目立ちたがり屋」だと私は思っているので(もちろんこの私も含めて)、これはかなりツラい役回りで“貧乏くじ”であると言えるだろう。
三宅島のことはもういい。それよりも、このブログをしばらく休んでいる間にいろんなことがあった。
まず、何人もの方からメールをいただきました。
そのすべてが「ブログ楽しみにしていたので残念です。また再開してください」といったような内容でした。
じつは、今回ブログの更新をやめたのはいろんな理由があって、まぁそのきっかけとなったのは三宅島で達成感が皆無のままボランティア組3名で寂しく帰ってきたという情けなさであるのは間違いないんだけれども、それ以外にもブログを毎日更新する事の意味の無さと、それによる様々なデメリットをここのところずっと感じ続けていて、私自身やめるタイミングを計っていたような節もあるのだ。
たしかに「毎日楽しみにしています」と言ってくださる方は何人もいてくれて、それはとてもうれしいのだけど、冷静に分析するとそういう人は私と波長が合うごく一部の方で、大部分は一応ブログを訪れても全部読んでいないという事実がアクセス解析の結果からは歴然としているし、TWKのサイトに来てもブログは一切開かないという閲覧者も大勢いるというのが現実なのだ。
こんなことを暴露するのは恥ずかしいことなのだけど、私自身今の無名な状況を何とかして打ち破りたいという「上昇志向」‥‥‥もっとわかりやすい言葉で言うと「有名になりたい」という気持ちがずっとあって、そのために手を変え品を変えあらゆる事を行なってきた。
モトクロスに打ち込んだのもそう。自分のサイトを立ち上げ、ブログを始めたのもそのため。そしてさらには、ボランティアバイク隊として積極的に活動してきたのもそう(もちろんそれだけのためではないが)。
それがここへ来て、ブログはもう先が無いのが見えてしまい、ボランティア活動でも挫折‥‥‥。もうすべて手を打ったけど、八方ふさがりというか万策が尽きたというか、絶望感につつまれてしまい、一時は何もやる気がしなくなってしまった。
メールをくれた人の中には、私が落ち込んでブログをやめた事に対し「気持ちは解りますが」と書いてくれた方もいましたが、その言葉に対しては申し訳ないけど自信を持って反論させていただきます。
「私のこの気持ちは、絶対私にしか解りません」
もう今まで何十年にもわたって「B級人生」を歩んできたこの私、その間どれだけ惨めな思いを積み重ねてきているか、これは他人には絶対解らないでしょう。
そしてその度に「ちくしょう今に見てろよ、見返してやるからな」と思い、自分なりに精一杯頑張ってきたのですが、もう結論が出ました。
B級として生まれた人間は、どんなにあがいてもA級になることはできない―――少なくともこの私にはこの結論が当てはまるようです。
今まで少しずつ積み上げていって、いつかは上のステージに上れると思っていた“踏み台”が土台からガラガラと音をたてて崩れていったような感じがして、絶望のどん底まで落ちてしまった私でしたが、何日か経ってようやく開き直ることができました。
そう、B級大いに結構!!
もうこれからは無理して背伸びせず、気楽に生きて行こうかと思っています。
だからこのブログも、気が向いた時に自分が書きたいことだけを書いて行こうと思う。
―――もう以前のように「一人でも多くの人に見てもらいたい」などと考えずに、ね。
ブログ休止中に励ましのメールを下さった皆さんに、この場を借りてお礼申し上げます。ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。
なんだかグダグダと長くなってしまったので、せっかく帰りに東京ヘリポートで撮った写真載せられなくなってしまったじゃないか
。
いつになるかわからないけど、この次にアップするってことで‥‥‥。
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